古代ローマから19世紀と時を繋ぐのは、細密なテセレと呼ばれるガラス片を使ったマイクロモザイクの逸品。
久し振りに手に入れたマイクロモザイクです。
古代ローマの遺跡群をモチーフとしたものが18世紀から19世紀にかけて、流行しました。それらは、グランドツアーと呼ばれる貴族の見聞旅行で訪れた裕福なイギリスやフランスの富裕層がローマを訪れた記念に買い求めた物でした。しかし、画像からもわかる通り、大変細密に作られており、現代ではこうしたマイクロモザイクと呼ばれるほどの極小のテセレを使って作られるモザイクは存在しません。もちろんその後の時代に再現されたリプロダクションも無く、また、当時ももっと大きなガラス片を使用して作られた物がほとんどでした。そのため、製作数がもともと少ないマイクロモザイクはすでに世界中に散ってしまい、近年市場で見かけることがほとんどなくなりました。
イギリスやフランスのマーケットに出てきたとしても台座のガラスが割れているの物やモザイクが抜け落ちてしまった物、ヒビが入っている物等、完品はほとんどありません。また、イタリアの骨董屋で稀に見かけることがあったとしても、その価格は日本での相場よりも、驚くほど高いです。なぜならば、彼らイタリアのアンティークディーラーは物の正当な価値を理解していると共に、イギリスやフランスから強気な価格で仕入れており、世界中から集まる富裕な観光客向けに販売しているからです。
残存数が少なく、また、カメオと並び、イタリアを代表するアンティークジュエリーの代表的なシンボルであるローマンモザイク。その中でも特に一つ一つのガラス片が細かい物はマイクロモザイクと呼ばれます。マイクロモザイクはアンティークのカメオと比べても製作数、残存数が遥かに少なく、希少性の非常に高い装飾品です。
モチーフとなっているものはパンテオン。言わずと知れたローマを代表する建築物であり、唯一古代ローマからそのままの姿を残す、建築物です。もともとは紀元27年に初代皇帝アウグストゥスの腹心アグリッパがローマの全ての神々を祭るために建築しました。その後、火災で失われ、紀元118年から128年にかけて五賢帝の一人ハドリアヌス帝が再建しました。ローマがキリスト教化された後も、紀元608年頃にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れました。
現在でもローマを訪れる人には必見の場所であり、それは19世紀にも同様であったことがこのモザイクを見て伝わってきます。パンテオンの前にはロトンダ広場が広がり右手前には先端に十字架が付いたオベリスクの姿が見受けられます。これはもともと古代エジプトの王ラムセスⅡ世が紀元前3世紀にヘリオポリスの太陽神殿に建てた物です。それをカリギュラ帝(在位:37~41)がローマで建てたイシス神殿に運ばせました。さらに時代は進み、1711年、教皇クレメンス11世がこの場所に移動させ、噴水の上にこのオベリスクが建てたのです。
そうした姿を19世紀のこのモザイクを持ち帰った貴族も目にし、21世紀の今も私たちは同じ姿を目にできます。
写真がまだ普及していなったこの時代、細かな色まで再現でき、色褪せることが無かったモザイクは人々の感動と思い出を留めてくれる一級の品であったのでしょう。
質実剛健な古代ローマのパンテオンのイメージを崩さないためか、フレームにはゴールドではなくシルバーが使用されています。連続した粒模様の内側に綱模様となった装飾で、金属の輝きが抑えられています。
全体の状態も良く、ヒビや抜けなどはありません。光を当ててよく見ると、黒いフレームの表面に引っ掻き傷のようなものはありますが、全く作品の価値を損じるものではありません。
モザイクの色合いも多色で空の微妙な色のグラデーションまでもが楽しめます。建物の陰影も表現されており、風景に遠近感が感じられ、自分がそこに佇む気持ちにさせてくれます。
当店でも今、唯一あるローマンモザイク。本当に入手が困難な逸品です。
身に付けて楽しむも良し、額に入れて飾るのも良し、時を超越した装飾品です。
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